コラム | 熱投注意 〜甲子園はやりすぎじゃない??〜
POST:2018.08.14
高校野球の頂点を決める大会、いわゆる「夏の甲子園」が真っ盛りですね。
筆者も昔野球をやっていたので、何となく甲子園は見てしまいます。
と言っても、MLBやプロ野球を見る機会の方が圧倒的に多いですが・・・
今年は通算100回めの記念大会ということもあり、例年以上に盛り上がっているような気もします。
さて、甲子園で毎年のように出てくる議論があります。
ピッチャーの球数問題です。
「甲子園」は到達点か?
あらかじめ立場を明らかにしておくならば、筆者はいわゆる「投げすぎ」に反対です。
全国大会、さらにその優勝ともなると競技に関わらず憧れの舞台であると思いますし、目指すべき頂点であるとは思います。
それは理解できます。
しかし、憧れの舞台が到達点ではないと思っています。
仲間と野球をやって、憧れの舞台で勝ち上がる。そのために多少の犠牲は厭わない。
何とも「美談」にも思えます。
しかし、過密日程で休養もろくにないまま地方大会からやっている上に、あの灼熱のような球場で何百球も投げるというのははっきり言って体にいいわけがない!
エースに全てを託していると言えば聞こえはいいですが、やっていることは児童虐待に似たようなものです。
継投を義務付けろ、とか球数制限を設けろとは思いませんが日程を考慮するなり、会場を増やすなりして対応できると思います。
特に、大学生や社会人、ましてプロと比べても体が出来上がっていない「高校生」に対してノスタルジックな感情や精神論だけで無理強いするのは大人のすることかと思います。
場合によっては、無理がたたってその後の野球人生が断たれる可能性もあるわけです。
全国大会で活躍するような才能の持ち主たちを、そんな終わらせ方をしてもいいものか?と思ってしまうわけです。
案の定、高校の時の酷使がたたってプロ入り後故障が発覚したりするケースもあります。
こうなると、単に勝ち負け云々という話ではなく、野球界全体の損失なのではないかと思います。
もちろん、甲子園で酷使されたからと言って全ての選手が故障するわけではありません。
しかしながら、肩や肘といった関節は遅かれ早かれ摩耗します。
無為無策なままでは損失が広がるばかりではないでしょうか?
そういった意味では、タイブレーク制が始まってこれまでよりは多少マシになる可能性は上がりました。
しかしながら、根本的に「エースは先発完投すべし!」「多少暑くても我慢すべし!」「チームのピンチはエースが火消しすべし!」みたいな精神論は依然としてあるように思います。
会場分割したらどうだろうか?
何も甲子園球場だけで開催する必要性はないと思います。
テニスだってセンターコートで試合できるのは決勝戦だけ、とかあります。
サッカーのW杯だって複数会場で行われますがそれでもW杯の価値が損なわれるわけではありません。
広くてきちんとした球場が少なかった昔ならともかく、別に京セラドームだって近くにある訳で分担してもいいんじゃないかなと思います。
そうした方が、日程にも余裕ができますし雨天順延による過密日程化の心配も減ります。
まあ、甲子園球場と京セラドームだと芝も違うし広さも違うので一概に比較はできないかもですが・・・
でも、具体的なアクションをもっと増やしていかないと、「ドラマが見たい」という大人のエゴで才能が潰されていくのは少し違うのではないかなと思っている次第です。