コラム | 多様性を認めよう

POST:2018.09.26

「新潮45」の休刊を巡って、議論紛糾しています。
事の発端は、とある議員の「LGBTは子どもを産まないので生産性がない。過剰支援すべきではない」という趣旨の寄稿が掲載されたことにあります。

さらに、その寄稿が批判にさらされると、寄稿を養護する特集を掲載。
結果として、休刊に追いやられる事態となりました。

マイノリティを切り捨てる発言の危険性については言うに及ばず。
さらには、「生産性」という言葉を子供の有無に矮小化してしまうのは、お粗末としか言いようがありません。

元来、「保守主義」と「排他主義」は別物だと思っているので、この寄稿に賛同はできかねます。
しかし、最も危険なのは、これは政治的な場面でのみ起こりうるころではないということでしょう。

ダイバーシティー

ダイバーシティーという言葉があります。
多様性や相違点を表す言葉です。

目下、国際競争にさらされる日本企業は、従来型の人材活用だけでは世界を相手に太刀打ちできなくなっており、現在この「ダイバーシティー」をいかに活用するかというのが大きな課題となっています。
つまり、多様性を否定するのではなく、多様性を受け入れ活用するという考え方です。

人種・国籍・性別・言語・思想・経歴・背景などなど
活用できる「多様性」は大いにあります。

問題は、それらを「認められるか」ということです。
若い人材の活躍を期待しているのにも関わらず、「新卒一括採用」にこだわる。
女性の活躍を推進したいのに「育休」を理由に出世を拒む。
国際化を目指すのに外国人が就労できる環境は整備しない。

こういう事態があちこちで発生しています。

寛容こそ大きなパワー

良くも悪くも色んな会社に勤めてきましたが、大体の組織は独自の「文化」を持っています。
そして、その組織に長く在籍する人ほどその「文化」が変容することに抵抗感を示します。

「ウチはこういうやり方だから」という言葉でその文化を強制するのはよくある光景ではないでしょうか。
こういう言葉を聞くたびに、「一回きちんと話し合う場面くらい用意すりゃいいじゃん」と思うわけです。
でも、押し付ける。
なぜなら、変わるというのを受け入れるのはもの凄くエネルギーが必要だから。
慣れてる環境の方が楽ですもんね。
でも、それじゃ時代から取り残されるんです。

しかし、変わることに大きなエネルギーが必要だからこそ、変われれば大きなパワーを生み出すと思っています。
時代が変わってもかわらなくていいのは「ラガー」くらいなもので十分です笑

で、何が一番エネルギーを使うかというと認識を擦り合わせることなんですよね。
お互いの価値観とかがぶつかり合う訳ですから、落とし所を上手く見つけるのは並大抵のことではありません。
それが面倒くさいから、「それはウチのやり方じゃない」で済まそうとしています。

寛容さとは、全てを受け入れるということではありません。
いつでもぶつかり合う覚悟を持つことです。
きちんとぶつかった上で、どこに話が落ち着くのかは状況次第でしょう。
しかし、門前払いをしてもいいことはありません。

冒頭に話を戻しましょう

今回は、新潮社という大手出版会社の紙面で与党の国会議員という立場の人が堂々と「不寛容さ」を打ち出したことに驚きがありました。
繰り返しますが、「保守主義」と「排他主義」は違います。
まして、政治家ならマイノリティの権利を安々と否定すべきではないと思います。

今回の件、本人はもとより出版社側からも正式な謝罪はないです。
という事は、主張として間違っていないという考えなのでしょう。
それはそれとして、認めますが後手後手になった対応はリスクマネジメントのいい見本として後世に語り継がれていくでしょう。

多様性を認め、排除するのではなくうまく活用できる社会が望ましいのではないかと個人的には思いますけれども。
さて、どうなるか・・・?

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