コラム | ブラック社則を考える

POST:2019.12.04

最近、インターネットを中心に「ブラック社則」という問題が取りざたされています。
マスコミにも取り上げられつつある中で、この問題について少し考えてみようかなと思います。

ブラック社則とは

厳密な定義というのはまだないようですが、度が過ぎた社則という感じのニュアンスで使われている様子です。
もっと言うなら、『時代遅れ』な決まり事という感じでしょうか。

そもそも社則とは、就業規則や服務規程のように会社で働く上での決まり事の総称です。
社則そのものは、大勢の見ず知らずの人たちをまとめる上で一定の効果はあるでしょう。
しかし、何事も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」という通り、行き過ぎても無意味です。

巷間で言うところのブラック社則の具体例を見てみましょう。

●女性社員の「眼鏡」着用禁止
●女性社員の服装指定(シャツの色など)
●女性社員へのハイヒール着用義務、パンプス着用義務 などなど

主に女性が声を上げていることもあって女性社員向けの社則が取りざたされていますが、男性社員にもこういう社則は結構あります。
スーツの着用義務然り、長髪禁止やヒゲの禁止だったり。

個人的には「身なり」が仕事する訳じゃないんだからそこまで厳しくする必要あるかなあ?と思いますが・・・

ブラック社則の存在意義

一概に「これはおかしい」と切り捨ててしまうのも何ですので少しこういった「ブラック社則」の存在意義を考えてみましょう。
先述の通り、社則そのものは複数人が集まっている場合(いわゆる組織)、必ずと言っていいほど存在しています。
その目的は、統率のためだったり士気向上のためだったり帰属意識を高めるためだったりと様々です。

多くの人は学校に校則があったことを覚えているでしょう。
人が多くなればなるほど、組織は決まり事や規則を作って統制を取ろうとします。

少し考えればわかることですが、みんながみんな好き勝手やっていれば組織は一瞬でバラバラになります。
こういった規則やルールは明文化されているものもあれば、暗黙知として成り立っていることもあります。

明文化された規則が多くなればなるほど人間というのは「窮屈さ」を感じてしまいます。
また、暗黙知のルールが多いのも大変です。常に空気を読む状況になるからです。
まあ、バランスが大切なんですよね。こういうのって。

で、問題は「ブラック社則」です。
恐らくこの問題を取り上げている人たちも規則やルールの必要性を疑っているわけではないでしょう。
単に時代遅れになっている社則を改善してくれと訴えているわけです。
その点については大いに賛成です。
ちなみに、実は(?)似たような問題については既に管理人の見解を示しています。

★以下をご参照ください★
https://createmyself.site/2319/
就活にまつわる暗黙の了解~令和の就活を考える~

https://createmyself.site/2129/
仕事と「服装」:大阪「ヒゲ」訴訟について考える

なぜ「時代遅れ」になったまま放置するのか?

少しばかり「ブラック社則」側を擁護すると、恐らくですがこういった社則も作った当初は何らかの意味があったのだと思います。
その意味や意義がズレているものも多くありますが・・・

しかしながら、この「ブラック社則」問題については、つい最近できた社則がおかしいという訳ではなく、数年前(場合によっては数十年前)に作られた規則がおかしいと言っているケースがほとんどかと思います。
例えば、「女性は眼鏡着用禁止」。受付など特定の業務においては「見栄え」を考慮して禁止しているんだそうです。

今や眼鏡は立派なおしゃれアイテムなんですけどね?

といった具合に、今となっては時代錯誤な価値観ですが、作られた当初は『眼鏡=ダサい』という風潮だったのでしょう。
そういえば管理人も中学生のころ眼鏡かけてたらバカにされましたねえ・・・笑

こんな感じで作られた当初のままで放置しているから社則がおかしくなるのです。
これは校則であれ何であれ同じです。校則で言えば、未だに坊主を強制しているような学校はかなりのレアです。

社則にせよ校則にせよ、ルールというのは定期的に見直してその時代や文化的な背景などを考慮して柔軟に変更していけばいいだけの問題です。

例えば、メジャーリーグ。
野球のルールは大きく変わってはいませんが、必要に応じて細かいルールは柔軟に変更しています。
ビデオ判定を導入したり、ホームベース付近でのクロスプレーを禁止したり。毎年のようにルール変更が議題に上がっています。
もちろん、野球というゲームの面白さを損なわないようなバランスを見ながらということにはなりますが。

社則も同様に、定期的にチェックして変更が必要かどうかを検討していけばいいだけです。
そして重要なのが、『なぜ社則を変更する必要があるのか』『変更しない理由は何か』というのを常に語れるようにしておく。

なぜ女性社員のヒールの高さが決まっているのか、について経営陣は明確な返答ができますかね?
時代遅れなルールに縛られているのもおかしな話ですが、『なぜそのルールが必要か』を明示できないのは滑稽なだけです。

社会の価値観やルールは日々変化しています。
これまでの常識ややり方に囚われていたら、一気に時代に取り残されるという時代です。
社則や校則も柔軟に見直しを行うような環境にしていけばいいかなと思います。

まとめ

と、おおむね「ブラック社則」に関しては反対の立場ではありますが、勘違いして欲しくないのは「自由」を履き違えてはいけないということです。
会社や組織というのはそこに存在している様々な人々が共同で運営していく必要があります。
当然、個人のワガママが通用しない場面も出てきます。

組織運営上必要な社則に対してまで「ブラック社則」の烙印を押して弾劾するのは筋違いです。
これまで報道などで見かける「ブラック社則」については『なんじゃこら・・・』と思えるものがほとんどですが、今後一部のワガママな人が「ブラック社則」という言葉をいいように使いだす可能性も危惧としてはあります。

もし、「ブラック社則」と思える社則に出会っても
●なぜその社則が必要なのか
●これを変更したらどのような不利益が予想されるか
●代替手段は何か
くらいを考えてから「ブラック社則」の烙印を押すようにしましょう。

もちろん職種にもよりますが、今後は服装ごときであーだこーだという時代ではなくなるかもですね。
経営者の皆さんは服装以外の慣習なども含めて、一度自社のチェックをしてみるといいかも知れません。
新たな発見や改善の種が見つかって経営に新しい風が吹いてくるかも知れませんよ!

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